「推すことの倫理」を自分のために考えた

かれこれ15年ほど、波はあれどいわゆる「アイドルを推す」ということを続けているが、ここ数年とくに「自分がされたら嫌なことを好きなアイドルに対してやっているな」という感覚を強く持つようになってしまった。

ここで言う「自分がされたら嫌なこと」というのは、見た目についてとやかく評価する(褒め言葉も含め。「顔がいい〜」ってちょっとなんか、異常ですよね。)とか、一つ一つの言動から勝手に何かを読み取って想像を巡らせるとかそういうことだ。

 

そもそも「推す」というのは、相手が自分をどう思うかをまるで無視していい環境で相手に好意を向けるということだ。重要なのは「相手が自分をどう思うかを無視して」という部分。恋人と呼ばれる関係になりたい相手や友人と呼ばれる関係になりたい相手に簡単に好意を伝えることができないのは、相手が自分のことをどう思っているかわからないからだ。しかし、「推し」に関してはそもそも「あなたが私をどう思おうと知りませんが」という意味合いが含まれているように思う。あまり親しくない後輩に「〇〇さん(私)のこと推しなんです〜」と言われたことがあるが、どうにも居心地が悪かったのは「あなたがどう思おうが知ったこっちゃありませんが」というニュアンスを私が感じてしまったからだと思う。仮に自分が多少好意的に捉えていた相手からであっても「推しです」と言われたらかなりがっかりしてしまう気がする。そっか、君は私が君に向ける感情のことはどうでもいいんだね、双方向的なコミュニケーションを取る気はないんだね、と極端かもしれないが私は思ってしまう。

少し話が逸れてしまったが、この文章で考えたいのは「自分がされたら嫌なことを相手(好きなアイドル)にしている」という罪悪感について自分の中でどう落とし所を見つけるのかということだ。

 

結論から述べればというほどでもないが結局は、「彼らがそういう立場を自分で選んだ人だから」ということでしかないのだろう。「推す」というわりと気持ち悪めの感情を抱く免罪符を何かに求めようとすると、結局ここに行き着いてしまう気がする。あえて言い換えればアイドルの「自律」というような話だ。アイドルになるのもそれを続けるのも、そのうえでどのように振る舞うのかも、ある程度彼らの「やりたい」という意志に基づいていてほしいし、それぞれの仕事に彼らの主体性が伴っていてほしいのだ。それが仮になかった場合、私がやっていることは暴力的だと言わざるを得ない。

とはいえ「やりたいって自分で言ったんだから仕方ないでしょ」で済ませると、例えるならば"痴漢されるのはそんな服着てるから"の論理が通用してしまうようであまりに危険なので、もうひとつルールが必要だと思う。それはこれも当然のことだが「彼らが届けようとしているものだけを受け取ろうとする」ということだ。当然ながら個人情報に関することや彼らが仕事中以外の時間(いわゆるプライベート)に何をしているのか、どんな人間関係のうちにいるのかなどということを彼らがこちらに伝える以上にこちらから知ろうとするのはルール違反だ。

こう考えると、彼らの容姿への無遠慮な言及は場合によっては許されるのかもしれない。なぜなら、少なくとも私の好きなアイドルは私と違って自分の容姿が自らの力強い商品であることに自覚的で、「容姿が魅力的であること」は彼らが私に届けようとしているものに思われるからだ。

だがそれも「常に」ではない。例えばキメッキメのミュージックビデオや雑誌の写真を見ているときと、彼らがインタビューやら何やらで彼らの考え等を一生懸命話しているときでは「推す側」の態度は同じではいけないのかもしれない。

また、私はYouTuberであるところのQuizKnockがアップした動画に「ビジュいいですね!」というコメントがついていることに強く強く違和感を持ち、明確に「失礼だな」と思う。これは私にとってQuizKnockの面々は「容姿を商品として届けようとしている人」ではないからだ。

 

つまり、次の2つを満たしているとき特定の誰かを「推し」てもいいということになる(あくまで私にとってだが)。

1.彼らが自ら推される対象となる職業に就くことを選び、それを自らの意志で続けていること

2.推す側である私が彼らが届けようしているものだけを受け取ろうとすること

 

1.について、アイドルの「自律」というような言い方をしたが、アイドルの「自律」ということを言うのであれば、やはり考えねばならないと思ってしまうのは日本の女性アイドルについてである。(私の「推し」はもっぱらジャニーズアイドルなので女性アイドルについてはあまり深く考えられていないかもしれない。もし的外れな点もあったら教えてほしい。なるべく穏やかに。)

日本の女性アイドル(秋元康プロデュースのアイドル、もしくはそれに影響を受けたアイドルと言った方がいいかもしれない)は、彼らの自律性を奪って「振り回す」ことでエンターテイメント性を獲得しているように見えてしまうのだ。ここに私が彼らを「推せない」理由があるように思う。またこれも感覚値ではあるが、女性アイドルの方が年齢が若いことが多いように思う。小学生や中学生に「アイドルとしての自律」を求めることは私にはできない。

「総選挙」も「選抜」も、彼らを彼ら以外の誰かが決めたルール(一度に出演させられない人数をわざわざ採用して「選抜」するとはこれ如何に)の中で振り回し、意地悪な言い方をすれば振り回される彼らを「高みの見物」させる、することで金が動きエンターテイメントが成立しているように見える。(「全員選抜」という形をとっているグループもあるそうだが、今後もそうなのか、人数が増えたらそうでなくなってしまうのか…)

便宜的に「女性アイドル」という言い方でこの話題を始めてしまったが「振り回されている様を高みの見物する」という構造は「女性」アイドルであることに意味があるわけではなく、いわゆる視聴者投票系のオーディション番組も同様だ。また、女性アイドルの中にもあくまで私にとって、ではあるが「自律」を感じられるように思える人もいる。

 

ジャニーズアイドルの自律性についても当然危ぶむべきものではある。特にジャニーズJr.と呼ばれる存在については「デビューできるかできないか」という大きな分岐が「偉い人」だけに握られており、たくさんの少年たちが「振り回されている」ことが想像できる。また、かつて強大な権力をもったひとりが、少年たちの夢を人質にとって最悪な方法で彼らを支配していたという事実が本当に悲しいことながら明らかになってしまった。

そういう意味では、昨今のジャニーズから別事務所への移籍という流れも、自分の行く末を自分で選びとる選択肢が増え、自律的に単一の権力によって振り回されることから逃げ出す方法ができたという意味では喜ばしいことなのかもしれない。

 

こんなにいろいろなことを考えないとやってられないなら「アイドルを推す」なんて辞めちまえと自分でも思うのだが、そういうわけにはいかない。「辞めちまえ」と思うときすでに、「推しが必要な私の人生」は進行しているのだ。いろいろと参ってしまって休職していたとき、好きなアイドルのカレンダーをめくることは、私が私の日々を積み重ねることそのものだった。

アイドルがファンの支持によって成立しているというのもまた事実なのでファンはアイドルにとってありがたい存在ではあるだろうが、同時に心底気持ち悪い存在でもあるだろう。

それでも感謝の方だけをいつも伝えてくれようとする彼らに心の底から敬意を表し、彼らを大切にすることと「推す」ということの共存に今後も頭を悩ませ可能な限り言語化に努めたい。

最後に、ジャニーズ事務所に所属しているアイドルを推しとしている私は情けなくも昨今のニュースについて冷静に考えることがどうにもできず、「私の大切なあの人たちが過去にも今にもなるべく辛い目に遭っていませんように」とあくまで個人的に祈ることしかできない。彼らが本当に辛い思いをしているとき、その辛さは私に対していつも巧妙に隠されているのだということを忘れずにいたい。

来週結婚する

来週結婚する、というおそらくは人生でまたとない状態にある。

ここでいう結婚とは入籍のことだが、結婚制度とはなんなのか、戸籍制度とはなんなのかを詳細に調べて納得してということは残念ながらしていない。

6年前から"お付き合い"をしている"異性の方"とこれからも共にいるという意味での現状を維持するために、互いがそれまでに築いてきた人間関係(ここでは主に親族関係が指される)のうちにある私たちとして、入籍することを選んだ。

言い換えれば、6年という時間の中でなんとなく、だんだん、結婚している状態よりも結婚していない状態のほうが不自然で理由が必要になってきている、不自然だから理由がほしいと思われているということに気がついて、結婚していない理由がないので結婚することにした。


結婚相手の方について。

彼について考えるとき、「稀有」という言葉がいつも頭に浮かぶ。大仰な言い方だが、私という人間の捉え方が稀有だし、私と似ている部分も似ていない部分も両方あって、そのバランスが大変稀有だと思う。

彼は、私と違ってとても軽やかだ。私は、いろんなことが心配で私の言動が他人にどう映りどう影響していくのかすごく気になってしまう。重々しく考え込んで、重要なことと瑣末なことの区別がつかなくなってしまう。

その重々しさを彼は「大丈夫じゃね」と乗り越えていく。こちらが心配しているのにもかかわらず「大丈夫じゃね」なんて言う輩なんて嫌いなはずだったが、別に彼は考えなしにそう言っているのではなく、そのとき考えるべきことと考えようのないこととが区別できているように思うのだ。また、うまくいかないこと、失敗することに対する態度も私よりずっと軽やかだ。その軽やかさにこれまでも救われてきたしきっとこれからもそうなのだ。

とはいえ、私が「大丈夫じゃね」と思うことに対して彼が考え込んでいることもある。そうやってどちらか、もしくはどちらもが考え込んだ末に出した結論をもって私たちはやっていくことができるのだと思える。

ちなみに、"結婚"ということについても、私は私で考えて納得してその選択をし、彼は彼でおそらく私とは少し違う意味で考えて私よりもう少し時間をかけて納得してその選択を取ることにした。いまはふたりとも「早くおそろいの指輪したい」とか言いながら楽しく暮らしている。のんきで心強いことですね。


もうひとつ言葉にして残しておきたいこととして、彼は私に「いるだけでいいんだ」と思わせてくれたということがある。親に対してすら100%そうは思えなかった私にである。私という人間の捉え方が稀有、というのはこの意味だ。

誇ることでもないが私は「本読んでそうで実は読んでない人」ランキングがあったらかなり上位に入れると思う。しょうもないことを言っているようだが、私はそういう期待をされがちだ。思慮深いとかそういうやつ。親からも、楽器の上手いことやら成績がよいことやらたくさんのことを期待されてきた。それが当たり前で、「いるだけでいい」だなんて馬鹿にされていると思っていた。だが、彼といるときにふと「ああいるだけでいいんだ」と思った瞬間があった。私ができること、ではなくて私そのものが認められていると実感できたときがあったのだ。親しくしている友人だって、別に私の"できること"を買って共に時間を過ごしてくれているわけではないのだろうが、友人たちとの時間とは違う何かが確かにある。

もちろん文字通り「いるだけでいい」わけではなくて、共に暮らすために分担した家事をちゃんとやるとか彼の話をちゃんと聞くとかそういうことはするわけだが、大丈夫、そんなことは私にとって「いる」の範疇だ。


私は職業柄、人はいつでも死ぬ可能性があるという事実について少なくとも彼よりはリアリティを感じていると思う。マジで人は急に死ぬ。

だからこそ、今日もその鼓動が止まらないことを、その身体に火をつけられて骨になって壺に収められる日が少しでも遠いことを心から願っている。

これから先、彼のことも自分のことも大切にする日々が可能な限り長く続くことを心から願っている。


注) この記事の存在を結婚相手の方に知らせる予定はございません。よしなに。

2021年の話。

2021年の話。

①「頑張らない」話。

2021年が終わりました。

昨年の初めの日に、「2021年も葬儀社の人間として必死こいて働いているだろう」という趣旨のことを述べていたのですが、そんな日々は仕事始めから4日でおしまいになりました。ドクターストップでした。

亡くなった人、もしくは「死なれた」人(いわゆる"遺族"を指しています)として私の前に現れるお客様のために、そして仲間や会社のために日々一生懸命やっていたらいつのまにか自分の感受性に蓋をせざるをえなくなって、蓋をしたまま過ごしていたら感情の幅がどんどん狭まって、気づけば1人で過ごす時間は黙ってうずくまるか意味もわからず泣き出すことしかできなくなってしまいました。それから3ヶ月、ニートのような生活を送りました。


母からはよく言われていたことですが、私はあまりに「挫折の少ない人生」を送ってきました。頑張りたいことや得たい結果があれば、自分で言うことでもありませんが真っ当に努力をして、運や環境も味方につけて、求めた結果を手に入れてきました。ちなみに、ですが「挫折の少ない」ことそれ自体に私の非はないはずです。私自身が真っ当に頑張ったことで手に入れた「挫折のない人生」なのだから。険しい挑戦を数多くしてきたとも決して思わないけれど。

しかし挑戦をするたび頭の奥にちらついていたのは「これ失敗したら私この後どうやって生きていくの?」ということでした。どうやってまた立ち直ればいいのかもわからないし、周りは私をどんな風に見るのか、両親は私になんて言うのか心配で、「失敗」なんて早めに知っておいた方がいい気がするけど今回も失敗しなかったから知ることができなかった、というようなことを繰り返してきました。


そんな私にとって今回の休職は明らかな「落伍」であり、「この後どうやって生きていくの?」と問わざるをえない、いや問う気力すらないような状況でした。あの頃の自分に対しては、ただひたすらに「本当にごめんね」と言いたい。あんな思いをさせて、あんな思いをさせるまで自分を省みなくて、本当にごめんなさい。


あの頃の日々のことを肯定する気はかけらもないのですが、気づいたこともありました。「頑張りたいことも頑張るべきこともなくたって、お腹は空くし眠くもなるし、人生と呼ばれる時間は続いていて、何も頑張らずに時間が過ぎていくことは不幸なことでも嘆くべきことでもない」ということです。で?というようなことかもしれませんが私にとってはこれ自体が新しい事実でした。"頑張りたい何か""頑張るべきだと定めた何か"もない、という日々はおそらく初めてのことだったので。

これに気づいたから何なのかというと、もう少し人に優しく、人に寛容になれるのではないかということを期待したいのです。「失敗」を知らない私は「失敗した人」を想像することができませんでした。ある立場に自分が一度立ったからその立場にいる人のことを理解できた気になる、というのは大変危険なことですがそういうことではなく、私のどこかにきっと、いや間違いなくあった「"失敗した人"への無理解、無理解による軽蔑」が多少マシになっただろうということです。

失敗した成功したなどということは、それぞれの"できごと"にひもづいていることであって決してそれぞれの""にひもづいているわけではないというきっと頭ではわかっていたことが腑に落ちて、よりフラットな自分になれたような気がするのです。


幸にして私には、1年前述べた通り私の日々に並走してくれるアイドルらがいて、好きなアニメやドラマがあって、そして変わらず接してくださる友人の皆さんがいてくださいました。(ぶっちゃけですね、「誰も下手なこと言わなくてマジでえらいな」と思っておりました。その節は本当にありがとう。)

好きなアイドルが今後の予定を発表する度に"あ、このときまではちゃんと生きていよう"、ドラマを1話見るたびに"あ、次の放送までは"、友人とお話できる予定ができれば"この日までは"と思えました。そうやって少しずつ少しずつ日々をつないできたような気がします。日々をつないだ延長線上にあるいまはこのときよりずっと元気になり、もう少し先の未来を想うことができるようになりました。


頑張らないことは不幸ではないと気づいた私ではありますが、「頑張りたいこと」「守りたいこと」もなんだかんだ見つけつつあります。頑張らない時間の過ごし方を見つけたことで、これまで頑なに握りしめていた"拘り"を手放すことができたようにも思っています。頑張りたいときは頑張って、そうじゃないときは頑張らずに、しなやかにやっていければと思っています。



②「それでも守りたいこと」の話。

休職してしばらくしてから思いはじめたのは、「私、あの会社戻るの?」ということでした。

結果的に戻っているのですが、新卒で入社した会社、そして私の心をある意味"ぶっ壊した"責任の少なくとも一端は握っているであろう会社に、戻らないという選択肢は当然ありながらも戻ることにした、もしくは戻ることができたのは、私のどこかにずっと「あの会社をなくしてはいけない、あの会社を守らなければいけない」という気持ちがあったからです。

私の勤める会社は、めんどくさい就活生であった私が「ここだったら一生懸命になれるかも」と思えた唯一(本当に唯一)の会社です。その気持ちは部分的に裏切られたり裏切られなかったりするわけですが、やっぱりこの会社がやろうとしていることは正しい、この会社は世の中になくてはならないと信じられたからこそ私は今も新卒で入社した会社に居続けることができています。


言葉にすると生意気ですが、私は自分の会社を守りたい。結構本気でそう思っています。掲げた理念とは違った方向にいくのではないかと思えるときは声を上げたいし、理念の方向に向かっているのであれば私のできること、やるべきことはやりたい。

運がいいことにといいますか、復職時に異動した(休職した人間を元の部署に戻すことは普通ありえないので異動しています)ことで社内におけるより広範囲の流れが見えるようになってきました。会社に、そしてこの世の中に役に立っていきたいと思える自分のことも大切にし、そう思える環境に感謝しつつこれからもやっていこうと思います。


ちょっとカッコつけすぎたので正直なことを言うと上記のように思えるようになったのは復職して半年以上経ってからのことだったと思います。元の会社に戻った本当の理由は、休職中に転職活動する元気なんかなかったからです。なかったよ、そんな元気。


③「むき出しの心で」。

"感受性に蓋をする"日々から脱却した私は、その反動かのようによく泣いています。かつてのように意味もわからず泣いているのではなく、何かから"切実さ"のようなものを浴びたときに泣いてしまう。イメージとしては感受性のバケツみたいなものがあってそれが溢れたら泣いちゃうんだけど、今はもう蓋も何もないのでわっと浴びればわっと泣いちゃうような感じ。映像でも歌でも踊りでもスポーツでも、泣きたくなったら素直に泣いています。思い返せば昔からそうだったような気もしますが。


なかでも、不思議なことに"底抜けに明るい歌"になんだか弱い気がしています。例えばHappinessとかサクラ咲ケとか、あと何かな、ダイヤモンドスマイルとかSnow Worldとか、"Laugh" In the LIFEとか。なんか泣いちゃうんだよ。(ジャニーズアイドルの曲ばかりなのはご愛嬌)

何で明るい歌ほど泣いちゃうのかなぁと結構長い期間わからなくて考えてたんですが、多分ね、応援してくれようとしてるのが嬉しいんです。その気持ちが嬉しい。もう大人だから、その歌を歌ってくれているあなたが何の心配もなく日々を過ごしているなんてありえないって知っていて、それでも明るい表現を私に届けて私を応援してくれていることが嬉しいんだなぁと最近わかりました。嬉し泣きだったのです。でももうひとつもう大人だから知っているのは、人を応援することで自分も元気になれることがあるということです。

唐突ですが、人間っていいなぁなんて図らずも思ったりするのです。


さて2022年。もう少しポジティブでアクティブな1年にできたらいいなと思っています。

皆さまの心身のご健康とご多幸を心より、心よりお祈りいたします。

2020年の終わり。アイドルと私。

明けましておめでとうございます。 
旧年中もなんとか生きておりました。
Twitterをご覧の皆様はご存知かと思いますが昨年は「仕事」に尽きる1年でした。仕事しかできなかったというか。
私は葬儀社の人間として「目の前のお客さまの大切な人とのお別れの時間をサポートする」という考えれば考えるほどクラクラするような仕事をしております。
「依田さん、あなたでよかった」と言っていただいたこともあったし、私がよかれと思って申し上げたことがお客様を傷つけていたこともありました。
自分、この仕事続けられる…??と思うことも正直ありますが、大学生のときに描いた理想は未だなんとか裏切られていません。まだ頑張ります。

さて。話は変わりましてジャニーズアイドルグループ嵐が、昨日で活動を休止されました。あまり声を大にして申し上げてこなかった時期も長くありましたが、私は彼らの21年の歴史の中の後半12年ほど、彼らのいわゆる「ファン」をやっていました。
改めて、私にとって嵐が、ひいてはアイドルが何なのか、何だったのか、言葉にすることを試みようと思います。(就職してからこちら、いわゆる文章力、言語化能力が落ちに落ちており目も当てられないのですが試みるだけ試みます)

弊社サイトには社員紹介ページがあります(新米なので最近ようやく載りました)。
「趣味」の欄は、迷った末「アイドルを応援すること」としました(葬儀社の社員紹介そんな呑気でいいんかという疑問はおありでしょうが私はいいと思いますし担当者にも別に何も言われませんでした。)。しかし、私の趣味をより正確に表現するとすれば、「アイドルを応援すること、アイドルに応援されること」なんだと思います。
互いに直接干渉できない彼らと私が、ちょうどよく漠然と相手の幸せを願い合い応援し合うこと。これが私の好きな私とアイドル(私の場合ジャニーズにかなり寄っていますが)の関係性です。

この12年間、彼らはあまりに当たり前に存在し、同じ場所、同じ時代を生きる私を応援し続けてくれました。
嵐に曲を通して「今年もやっぱり最高じゃん※1」と言われれば「今年もやっぱり最高だ」と思えたし、「Everything's alright※2」と言われればきっとそうだと思えました。彼らは「君の胸の中で揺れてた小さな蕾※3」が、「負けないようにくじけないように今※3」歌うことを続けてくれました。

昨日の生配信ライブラストシーン、彼らは「退場」することなく光の中に消えていってしまいました。その演出が、私には彼ら自身が消えてなくなってしまうかのように思えて(私にとってはまさに「死」が表現されたかのようで)大変ショックを受けてしまったのですが、彼らはもちろん消えてなくなっていないし、私は彼らが幸せでいてくれることを願うばかりだし、昨日のライブで何時間もかけて伝え続けてくれたように、彼らの曲たちは変わらず私を応援してくれます。
変わったのは、これまでは「いまどこかで」応援してくれていると思えていたのが、「胸の奥で今日も※4」応援し続けてくれるとこちらが信じる必要がある、ということなのだと思います。
これは十分切なく寂しいことですが、彼らが選んでそれでも私に望んでくれたこと。彼らが幸せならOKです。

嵐についていろいろと書いてまいりましたが、最近実はジャニーズの別のアイドルにも応援されはじめ、かつ私も応援しはじめました。
大丈夫。最強の5人と6人に応援されているので私は無敵、「もうHappy-Glad-Lucky-Loveのフルコース※5」です。

2021年、彼らもあなたも私も、少しでも幸多からんことを願って。

以下歌詞出典一覧
※1嵐「Summer Splash!」詞/The仙台セピア
※2嵐「Power of the Paradise」詞/paddy
※3嵐「サクラ咲ケ」詞/相田毅
※4嵐「The Music Never Ends」詞/Julian Bunetta・John Ryan・Funk Uchino
※5 SixTONES「Laugh in the Life」詞/GAKU

卒業生答辞

 本日は、私たち卒業生のためにこのような盛大な式典を催していただき、誠にありがとうございます。ご多忙の折ご臨席いただきました多くの皆様に、卒業生一同心よりお礼申し上げます。また、ただいま五神総長よりご告辞と激励のお言葉を賜りましたこと、重ねてお礼申し上げます。

 

 ただ「優しい人になるために」この大学の門を叩いた私は、どんな学問を学びたいのかもわからないまま、興味をもった講義を手あたり次第受講しました。受ける講義を選ぶこと、何も強制されていない時間がたくさんあること、突然与えられた自由に少なからず困惑し、それを飼いならせるようになる必要がありました。私にとって前期教養学部生としての2年間は、「1人の人間として自由に生きる」ということを練習する時間であったように思います。その後進学した、文学部の哲学専修課程はまさに、「私の考えたいことを考えつづけられる環境」でした。自らの考えたいことを考えつづけるためには、それがいくら困難であったとしても、自らの考えたことや感じたことを誠実に言葉にしようと努めること、言葉にできると信じること、ただし自らの言葉を過信しないことが必要であると知りました。

 

 自らが何を考えていて、どうありたいのかを言葉にするという営みはいつも、私の話を一生懸命聴いてくださる人たちの支えがあって成り立っていました。私が考えたい、考えつづけたいと思ったことをそのまま尊重し、かつより綿密に言葉にすることを助けてくださった先生方に支えられ、私と同じように、自分がどうありたいのか、どうあるべきなのか一生懸命考え、またお互いに話し聴くことで刺激しあった友人たちに支えられました。初めて、心から尊敬し、この人には適わないと思えるような人たちに出会うことができました。

 

 今日私たちは東京大学を卒業し、それぞれが選択した道を歩き始めます。それがどのような道であったとしても、私たちがこの大学で過ごした日々とその意味は決して消えることはありません。大学生として自由な立場で過ごす時間すべてが、自分を知り、自分がどうありたいのかを考えつづける時間になりました。そしてここは、わからなくても考えつづけることを応援してくれる場所であり、いくら難しくても考えることをやめてはならないということを教えてくれる場所でした。

 最後となりましたが、これまでの学生生活を支えてくださったすべての皆さま、いつも私の選択を尊重し支えつづけてくれた両親に心より感謝し、また東京大学のますますの発展を祈念して答辞とさせていただきます。