2021年の話。

2021年の話。

①「頑張らない」話。

2021年が終わりました。

昨年の初めの日に、「2021年も葬儀社の人間として必死こいて働いているだろう」という趣旨のことを述べていたのですが、そんな日々は仕事始めから4日でおしまいになりました。ドクターストップでした。

亡くなった人、もしくは「死なれた」人(いわゆる"遺族"を指しています)として私の前に現れるお客様のために、そして仲間や会社のために日々一生懸命やっていたらいつのまにか自分の感受性に蓋をせざるをえなくなって、蓋をしたまま過ごしていたら感情の幅がどんどん狭まって、気づけば1人で過ごす時間は黙ってうずくまるか意味もわからず泣き出すことしかできなくなってしまいました。それから3ヶ月、ニートのような生活を送りました。


母からはよく言われていたことですが、私はあまりに「挫折の少ない人生」を送ってきました。頑張りたいことや得たい結果があれば、自分で言うことでもありませんが真っ当に努力をして、運や環境も味方につけて、求めた結果を手に入れてきました。ちなみに、ですが「挫折の少ない」ことそれ自体に私の非はないはずです。私自身が真っ当に頑張ったことで手に入れた「挫折のない人生」なのだから。険しい挑戦を数多くしてきたとも決して思わないけれど。

しかし挑戦をするたび頭の奥にちらついていたのは「これ失敗したら私この後どうやって生きていくの?」ということでした。どうやってまた立ち直ればいいのかもわからないし、周りは私をどんな風に見るのか、両親は私になんて言うのか心配で、「失敗」なんて早めに知っておいた方がいい気がするけど今回も失敗しなかったから知ることができなかった、というようなことを繰り返してきました。


そんな私にとって今回の休職は明らかな「落伍」であり、「この後どうやって生きていくの?」と問わざるをえない、いや問う気力すらないような状況でした。あの頃の自分に対しては、ただひたすらに「本当にごめんね」と言いたい。あんな思いをさせて、あんな思いをさせるまで自分を省みなくて、本当にごめんなさい。


あの頃の日々のことを肯定する気はかけらもないのですが、気づいたこともありました。「頑張りたいことも頑張るべきこともなくたって、お腹は空くし眠くもなるし、人生と呼ばれる時間は続いていて、何も頑張らずに時間が過ぎていくことは不幸なことでも嘆くべきことでもない」ということです。で?というようなことかもしれませんが私にとってはこれ自体が新しい事実でした。"頑張りたい何か""頑張るべきだと定めた何か"もない、という日々はおそらく初めてのことだったので。

これに気づいたから何なのかというと、もう少し人に優しく、人に寛容になれるのではないかということを期待したいのです。「失敗」を知らない私は「失敗した人」を想像することができませんでした。ある立場に自分が一度立ったからその立場にいる人のことを理解できた気になる、というのは大変危険なことですがそういうことではなく、私のどこかにきっと、いや間違いなくあった「"失敗した人"への無理解、無理解による軽蔑」が多少マシになっただろうということです。

失敗した成功したなどということは、それぞれの"できごと"にひもづいていることであって決してそれぞれの""にひもづいているわけではないというきっと頭ではわかっていたことが腑に落ちて、よりフラットな自分になれたような気がするのです。


幸にして私には、1年前述べた通り私の日々に並走してくれるアイドルらがいて、好きなアニメやドラマがあって、そして変わらず接してくださる友人の皆さんがいてくださいました。(ぶっちゃけですね、「誰も下手なこと言わなくてマジでえらいな」と思っておりました。その節は本当にありがとう。)

好きなアイドルが今後の予定を発表する度に"あ、このときまではちゃんと生きていよう"、ドラマを1話見るたびに"あ、次の放送までは"、友人とお話できる予定ができれば"この日までは"と思えました。そうやって少しずつ少しずつ日々をつないできたような気がします。日々をつないだ延長線上にあるいまはこのときよりずっと元気になり、もう少し先の未来を想うことができるようになりました。


頑張らないことは不幸ではないと気づいた私ではありますが、「頑張りたいこと」「守りたいこと」もなんだかんだ見つけつつあります。頑張らない時間の過ごし方を見つけたことで、これまで頑なに握りしめていた"拘り"を手放すことができたようにも思っています。頑張りたいときは頑張って、そうじゃないときは頑張らずに、しなやかにやっていければと思っています。



②「それでも守りたいこと」の話。

休職してしばらくしてから思いはじめたのは、「私、あの会社戻るの?」ということでした。

結果的に戻っているのですが、新卒で入社した会社、そして私の心をある意味"ぶっ壊した"責任の少なくとも一端は握っているであろう会社に、戻らないという選択肢は当然ありながらも戻ることにした、もしくは戻ることができたのは、私のどこかにずっと「あの会社をなくしてはいけない、あの会社を守らなければいけない」という気持ちがあったからです。

私の勤める会社は、めんどくさい就活生であった私が「ここだったら一生懸命になれるかも」と思えた唯一(本当に唯一)の会社です。その気持ちは部分的に裏切られたり裏切られなかったりするわけですが、やっぱりこの会社がやろうとしていることは正しい、この会社は世の中になくてはならないと信じられたからこそ私は今も新卒で入社した会社に居続けることができています。


言葉にすると生意気ですが、私は自分の会社を守りたい。結構本気でそう思っています。掲げた理念とは違った方向にいくのではないかと思えるときは声を上げたいし、理念の方向に向かっているのであれば私のできること、やるべきことはやりたい。

運がいいことにといいますか、復職時に異動した(休職した人間を元の部署に戻すことは普通ありえないので異動しています)ことで社内におけるより広範囲の流れが見えるようになってきました。会社に、そしてこの世の中に役に立っていきたいと思える自分のことも大切にし、そう思える環境に感謝しつつこれからもやっていこうと思います。


ちょっとカッコつけすぎたので正直なことを言うと上記のように思えるようになったのは復職して半年以上経ってからのことだったと思います。元の会社に戻った本当の理由は、休職中に転職活動する元気なんかなかったからです。なかったよ、そんな元気。


③「むき出しの心で」。

"感受性に蓋をする"日々から脱却した私は、その反動かのようによく泣いています。かつてのように意味もわからず泣いているのではなく、何かから"切実さ"のようなものを浴びたときに泣いてしまう。イメージとしては感受性のバケツみたいなものがあってそれが溢れたら泣いちゃうんだけど、今はもう蓋も何もないのでわっと浴びればわっと泣いちゃうような感じ。映像でも歌でも踊りでもスポーツでも、泣きたくなったら素直に泣いています。思い返せば昔からそうだったような気もしますが。


なかでも、不思議なことに"底抜けに明るい歌"になんだか弱い気がしています。例えばHappinessとかサクラ咲ケとか、あと何かな、ダイヤモンドスマイルとかSnow Worldとか、"Laugh" In the LIFEとか。なんか泣いちゃうんだよ。(ジャニーズアイドルの曲ばかりなのはご愛嬌)

何で明るい歌ほど泣いちゃうのかなぁと結構長い期間わからなくて考えてたんですが、多分ね、応援してくれようとしてるのが嬉しいんです。その気持ちが嬉しい。もう大人だから、その歌を歌ってくれているあなたが何の心配もなく日々を過ごしているなんてありえないって知っていて、それでも明るい表現を私に届けて私を応援してくれていることが嬉しいんだなぁと最近わかりました。嬉し泣きだったのです。でももうひとつもう大人だから知っているのは、人を応援することで自分も元気になれることがあるということです。

唐突ですが、人間っていいなぁなんて図らずも思ったりするのです。


さて2022年。もう少しポジティブでアクティブな1年にできたらいいなと思っています。

皆さまの心身のご健康とご多幸を心より、心よりお祈りいたします。