来週結婚する
来週結婚する、というおそらくは人生でまたとない状態にある。
ここでいう結婚とは入籍のことだが、結婚制度とはなんなのか、戸籍制度とはなんなのかを詳細に調べて納得して…ということは残念ながらしていない。
6年前から"お付き合い"をしている"異性の方"とこれからも共にいるという意味での現状を維持するために、互いがそれまでに築いてきた人間関係(ここでは主に親族関係が指される)のうちにある私たちとして、入籍することを選んだ。
言い換えれば、6年という時間の中でなんとなく、だんだん、結婚している状態よりも結婚していない状態のほうが不自然で理由が必要になってきている、不自然だから理由がほしいと思われているということに気がついて、結婚していない理由がないので結婚することにした。
結婚相手の方について。
彼について考えるとき、「稀有」という言葉がいつも頭に浮かぶ。大仰な言い方だが、私という人間の捉え方が稀有だし、私と似ている部分も似ていない部分も両方あって、そのバランスが大変稀有だと思う。
彼は、私と違ってとても軽やかだ。私は、いろんなことが心配で私の言動が他人にどう映りどう影響していくのかすごく気になってしまう。重々しく考え込んで、重要なことと瑣末なことの区別がつかなくなってしまう。
その重々しさを彼は「大丈夫じゃね」と乗り越えていく。こちらが心配しているのにもかかわらず「大丈夫じゃね」なんて言う輩なんて嫌いなはずだったが、別に彼は考えなしにそう言っているのではなく、そのとき考えるべきことと考えようのないこととが区別できているように思うのだ。また、うまくいかないこと、失敗することに対する態度も私よりずっと軽やかだ。その軽やかさにこれまでも救われてきたしきっとこれからもそうなのだ。
とはいえ、私が「大丈夫じゃね」と思うことに対して彼が考え込んでいることもある。そうやってどちらか、もしくはどちらもが考え込んだ末に出した結論をもって私たちはやっていくことができるのだと思える。
ちなみに、"結婚"ということについても、私は私で考えて納得してその選択をし、彼は彼でおそらく私とは少し違う意味で考えて私よりもう少し時間をかけて納得してその選択を取ることにした。いまはふたりとも「早くおそろいの指輪したい」とか言いながら楽しく暮らしている。のんきで心強いことですね。
もうひとつ言葉にして残しておきたいこととして、彼は私に「いるだけでいいんだ」と思わせてくれたということがある。親に対してすら100%そうは思えなかった私にである。私という人間の捉え方が稀有、というのはこの意味だ。
誇ることでもないが私は「本読んでそうで実は読んでない人」ランキングがあったらかなり上位に入れると思う。しょうもないことを言っているようだが、私はそういう期待をされがちだ。思慮深いとかそういうやつ。親からも、楽器の上手いことやら成績がよいことやらたくさんのことを期待されてきた。それが当たり前で、「いるだけでいい」だなんて馬鹿にされていると思っていた。だが、彼といるときにふと「ああいるだけでいいんだ」と思った瞬間があった。私ができること、ではなくて私そのものが認められていると実感できたときがあったのだ。親しくしている友人だって、別に私の"できること"を買って共に時間を過ごしてくれているわけではないのだろうが、友人たちとの時間とは違う何かが確かにある。
もちろん文字通り「いるだけでいい」わけではなくて、共に暮らすために分担した家事をちゃんとやるとか彼の話をちゃんと聞くとかそういうことはするわけだが、大丈夫、そんなことは私にとって「いる」の範疇だ。
私は職業柄、人はいつでも死ぬ可能性があるという事実について少なくとも彼よりはリアリティを感じていると思う。マジで人は急に死ぬ。
だからこそ、今日もその鼓動が止まらないことを、その身体に火をつけられて骨になって壺に収められる日が少しでも遠いことを心から願っている。
これから先、彼のことも自分のことも大切にする日々が可能な限り長く続くことを心から願っている。
注) この記事の存在を結婚相手の方に知らせる予定はございません。よしなに。